Sunday, June 1, 2014

歴史と個人と 現代の私達

先日の当地の新聞にこんな記事が。


当地では、退官された今も「ジャッジ」と呼ばれ慕われ尊敬される方、レイモンド・ウノ氏です。私も月一のミーティングやあちこちの場でご一緒します。

(ちょっと記事全文訳してる時間がないですが)
ジャッジは高校生のとき、そしてもう一人お名前の出ているテッド・ナガタ氏は8歳のとき、強制収容となりました。
興味深いのは「年をとるにつれ、あの経験がどれ程自分のburden(重荷)になっていたかと気付いたことだ」とお二人とも仰っています。(この場でのburdenにはもっと深い意味があって、軽く重荷と訳すモンじゃない、と思ってますが・・・)

私がことばを失ったのはコメント欄です。

「あの時代にあって仕方無かったんだ」
「もう日系アメリカ人のことばかり言うのはよせ」
「日本人がアジアの国々にしてきたことを棚に上げて」

うんぬん。
この記事に対しての批判が多い。


ジャッジ達の仰っていることは
もっと全人的見地のことです。
誰にでも起こり得る、悲劇を2度と起こしてはならない、ということです。
(ジャッジは442部隊にもいました。つまり戦争で
8割以上の戦友を失っているということです。)


この講話会の準備をする上でも
いろんなご指摘、ご意見を頂戴しました。
が、講話会は 可哀想さを訴えるためではありません。

人間は間違いを犯します。
その時、その時で、立場によって真実も違います。
歴史は そこから学ぶものであって
私達が後出しジャンケンよろしく 判断すべきものではないと思います。

そうである以上
何が悪かった、という批判に
建設的なところがあるのでしょうか。

この講話会で得られることは、と尋ねられたとき
正直とても困りました。
それぞれの立場で 感じるものは違うと思うからです。

「現在の私達が大きな苦なく世界で活躍できるのは
先人の努力があったから。それを知って欲しい」と
あちこちで書きましたが

本当は それぞれの受け止められるもの、心の奥に語りかけられるものは
様々な深さと形を持つものだと思っています。

今回の日本では
沢山の若者に話を聞いてもらう予定ですが
「歴史を ただ真っ直ぐうけとめること」から
始めて頂きたいと思います。

各会場では
ディスカッションの時間がいつも設けられますが
個人的には
これを踏まえて「私だったら」未来はこうしたい、という
方向性でのご意見が聞けることを
心から願っています。

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