Thursday, June 5, 2014

ここまでのこと

もう3週間ないので すこし時間のあるうちに
どうしてこの講話会を思い立ったかについて
記しておこうと思います。


私は いろいろ思うところ在り
2012年暮れにJACLのメンバーになりました。
(私のように 最近アメリカに来て市民権を持つ子供を持つ人は
「新一世」と言われます。
 本人達に自覚はありませんが 笑)

セツコさんに最初にお会いしたのは
2013年の2月のDay of Remembranceという行事
大雪の日でした。

私が子供と日本語を話していたので
「わたくしも 少しですが日本語を話しますのよ」と
お話しして下さったのが最初でした。

その後はどういう経緯か憶えていませんが
「セツコさんが長年 
アメリカ人の子供から大人まで対象に
トパーズの話をしていらっしゃる」ことを知りました。

その後何度か、彼女の講演をお手伝いしながら聞かせていただきました。

丁度 娘が転校した学校で
クラスで日系人とトパーズのことを勉強している、と聞き
担任の先生に こういう方がいらっしゃるが
子供達に話を聞いてもらったらどうだろう、と
提案したのが ちょっとしたきっかけでした。

当日講演のための資料展示をお手伝いしていたところ
「この夏、入院していたの」とセツコさん。
アメリカは ちょっとやそっとでは入院させませんし
手術をうけても翌日、翌々日には返してしまうことが殆ど。
だから、入院って相当「重篤」だったってことです。

「結局心不全でね、私の時間も永遠じゃないんだって、
まぁ警鐘になったのよ。
だから前より、もっともっと話して行かなきゃって思って。」

ビックリして、そして自分の思いの至らなさに気付きました。

そうだ、戦後もうすぐ70年なんだ。
戦争を知っているひとは 日々亡くなっているんだ。
お元気そうにみえても、セツコさんも70を越えています。

日本にもね、伝えに行くことがあれば良かったんだけど。。。と
笑って仰るセツコさんに 反射的に
「行きましょうか?そして伝えましょうか?」と
話したのを憶えています。
多分 最初は社交辞令と思われたでしょうね。

その無謀な思いつきに
自分でもどこから始めて良いかわからないまま
あちこちにご理解を求めました。

正直 ひとつのOKを頂くために
沢山のNOを貰うのは楽ではありません。

でも今セツコさんのおなはしを必要としている方達もいる
それだけの気持ちでドアを叩き

本当に沢山の方の、温かいご理解とご厚意で
アメリカに居ながら 実現方向へ向きました。

特に大きく実現に向けてうごくきっかけとなったのは
私の出身高校の先輩方、同級生、後輩の方々と
その頃 出来の悪い生徒だった私を見守って下さった
恩師の先生方でした。

心から御礼申し上げます。
というにはまだ、早いですが
私も セツコさんも
皆さんからのご恩に報えるよう
最後の準備、頑張ります。


写真は幸せが「湧く」というやかんのお守り。
皆様に沢山の幸せが湧いてきますように。






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